『がんを生きる』について

腫瘍内科医の佐々木常夫氏の著作『がんを生きる』という本があります。

本書のテーマ

この本のテーマは、宗教なしで死の恐怖を乗り越える術を探ることです。

佐々木氏自身が宗教を持たない人であり、その死に対する考えは「「死んだら終わり、すべて無になる。私はそうなのだと思います。」というものです。

宗教は信じたくても信じられるものではない、あくまで無宗教の立場のまま、どうしたら死の恐怖を乗り越えられるのかを考えていきます。

宗教なしで死の恐怖を乗り越える問題の歴史的背景

まず宗教なしで死を乗り越えるという問題が発生してきた歴史的背景を佐々木氏は次のようにまとめています。

19世紀は宗教が人々の死の恐怖を和らげた時代です。19世紀には「死を知らされても、神の許へ行けるとか、永遠の命を信じることで死の恐怖は軽減されたのだ」といいます。

20世紀は宗教が衰退し、もはや宗教が死の恐怖を和らげる役に立たなくなっため、ひたすら患者本人に死を隠し続けた時代です。「病名を隠し、病気の悪化を隠し、死を隠し、最期まで希望をもたせました。」といいます。隠蔽がうまくいけば患者本人は恐怖を感じることすらないため、「死の恐怖を克服する術などは必要なかった」といいます。

しかし20世紀の後半から社会が更に変化し、この死の隠蔽ができなくなったと言います。佐々木氏自身の臨床経験から20世紀後半から21世紀の現場の変化を以下のように総括しています。

患者さん本人に告知しなかった時代 (1970-85頃)
告知しても予後は告げない時代(1985~2000年頃)
真実を医師が話し患者が知る時代(2000年以降)

こうして宗教がないまま、死の恐怖に人々が直面せざるを得なくなったということです。

佐々木氏の処方箋

佐々木氏考えでは、健康な時に受ける死の準備教育は役にたちません。その理由を以下のように述べています。

「死の準備教育で、死をたくさんみて、死をよく考えて、それで死の恐怖がなくなるならば、過去において宗教などいらなかったのです。むしろ昔は、戦や、飢饉で道端に、河原にたくさんの死を見て、その悲惨さを見て、人の心を何とかして安寧にしなければと思って宗教は発達したのです。死に直面し、死の恐怖を癒やすために宗教があって、人はそれで生きてこれたのです。宗教にとって死の恐怖は最大の課題であり、また宗教以外に、それを癒やす方法は見つからなかったのです。いま、宗教が多くの人の心から離れている状態で、その状況で死に直面して、人はどうその恐怖を克服するのでしょうか?」

佐々木氏自身は無宗教ですが、宗教が人類の歴史において果たしてきた役割はこの上なく大きかったと認めています。現代人以上に死の問題に直面してきた過去の人々、その人達に力を与えられた唯一のものが宗教だと言っています。

佐々木氏は宗教に匹敵する力をもった新しい術を自分が提示できるとは言っていません。宗教を使えれば強力であることは間違いないが、現代人にはもはや使えない、だから何とか苦心してそれに代わる術を探しておられます。そして完全な術そのものではなく、そのヒントという形で以下のアイディアを提示されます。

宗教なしで死の恐怖を乗り越える術のヒント

1)「人はだれでも、心の奥に安心できる心を持っているのだ」
2)生きていて、まだ役に立つことがあると思える人は、奈落から早く這い上がる可能性が高い
3)「生きているということ、それだけで人の役に立つことがある」。そして役に立てるのだ。
4)辛い時の周りの人の支えは大きい。周りの人の支えは、孤独を少なくする。
5)死とは、すべてがなくなるかもしれないが、心は残された人に受けつがれる。
6)どんなに苦しくとも、辛いなかでも、人はふと、一瞬でも「幸せ」を見出すことができる。人はそのようにできている。
7)死の恐怖に対して、知識は役に立たないことが多い。むしろ心性(真心)に働きかける役割は大きい。
8)医師、看護師を信頼できているということ。身体のことは医療者に任せられ、安心しておれること。医療、治療に納得していることは、心の安心には大切な要素である。

そして、死の恐怖を乗り越えるために、もっとも大切なことは、「人はだれでも、心の奥に安心できる心を持っている」ということを確信していることだと思います。

個人的な感想

この問題を正面からとりあげたということ自体、佐々木氏の著作は素晴らしい仕事だと思います。

佐々木氏の考察を脅威管理理論の視点から考察してみたいと思います。

脅威管理理論とは、死の恐怖という解決不能な問題の解決をはかろうとすることが、人間の全ての営みの根源にあるものだと考える社会心理学の理論です。

脅威管理理論では死の恐怖に対する(心理的な)防御には、意識的防御(=近接的防御)と無意識的防御(=遠隔的防御)の2つの仕組みがあると考えます。

意識的な防御は、積極的に死の原因となるような問題やリスクを解決するように積極的に働きかけること、死の恐怖を意識しないように回避することの2つです。

無意識的な防御は、人間のあらゆる文化的営みであり、具体的には何らかの価値観(世界観)、自尊心、愛着です。例えば死後の世界はあると考えたり、自分は死んでも遺伝子は子孫に受け継がれると考えたり、自分は死んでも自分の作品は遺ると考えたり、自分は死んでも国や人類は存続しその中で生き続けると考えたり、死の恐怖を和らげる世界観には様々なものがあります。大切なことはそれが何らかの意味での不死性の感覚をもたらしてくれることです。その世界観の中で自分がうまく適応できているという自尊心もまた死の恐怖を緩和します。自分が所属し自分を超える連続体(社会)との愛着感、一体感も死の恐怖を和らげます。

この理論で言うと、宗教は、無意識的防御の中で恐らく最強の仕組みということになるでしょう。そして佐々木氏の追求しようとしていることは、無意識的防御の様々な仕組みの中から、宗教以外の要素を探し出して、それだけで死の恐怖を乗り越える可能性を考えておられると言えると思います。あるいは、個別に見れば同じ道具を用いながら、それを宗教という形でパッケージしないで使用するということとも言えるでしょう。

そういう目で佐々木氏の「死の恐怖を乗り越える術のヒント」を見直すと、役に立つ、人の支え、心は残された人に受けつがれる、などのキーワードが、自尊心、愛着、世界観など1種として理解可能です。

ここで思い出されるのは「宗教は民衆のアヘンである」というマルクスの言葉です。アヘンとは今の医学の文脈で言えば、麻薬性鎮痛薬(オピオイド)のことです。

現在、緩和ケアの世界では、身体の苦痛に対してこのアヘンを使用することが是とされ、推奨されています。日本は欧米に比べてオピオイドの使用量が少ない、即ち患者さんの苦痛がそのままに放置されていると。

マルクスの言葉は現代の緩和ケアに言えば、宗教は精神的苦痛に対するオピオイド(鎮痛薬)である、ということでしょう。仮にそうだとすると、以下のように考えられるでしょう。

今も昔もこれからも、人間にとって死は精神的苦痛です。身体的苦痛に様々な鎮痛薬があるように、精神的苦痛に対しても様々な鎮痛薬があります。身体的苦痛に対する最強の鎮痛薬が麻薬であるように、精神的苦痛に対する最強の鎮痛薬は宗教です。麻薬も宗教も、副作用があり、乱用、悪用することもできます。そういう危険性を常にはらんでいます。一方で、それらによらなければ、どうすることもできない苦痛というのも人生にはあります。

身体の麻薬の方は、もう昔のアヘンそのままではなく、本質は同じですが、副作用を減らすなど改良された薬物になっています。宗教側にも同様な進歩、改良ができればよかったのでしょうが、残念ながらそうはならなかった。宗教のデメリットが目立つようになり、改良されるかわりにまるごと捨てられるような事態になってしまったと。

マルクスが「宗教をアヘンだ」として否定したのは、それが本来あるべき社会正義の達成を妨げてしまう副作用を指摘したのでしょう。副作用を気にするあまり、主作用のことも忘れていきなり薬を投げ捨ててしまっては、問題が生じるのは当たり前といえば当たり前です。

なぜ宗教が衰退したのか、死の恐怖に対して伝統宗教が果たしてきた役割を果たす新しい方法はなにか、議論を深めていかなければならないでしょう。

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