呼吸瞑想とは呼吸を観察対象(瞑想対象)とする瞑想である。要するに呼吸に意識を集中するように努力し、他のことに気が散ってしまったら穏やかに呼吸に注意を戻すということを繰り返す、本質はそれだけのことである。
とはいえ、では実際に呼吸を観察するにはどうすればよいのか、という実践の詳細になると諸説ある。
最もバランスのとれた見解だと思われるのは、ラリー・ローゼンバーグが『呼吸による癒やし』の中で述べている以下の主張である。
多くの初心者が呼吸は体のどこで見つめるべきなのかという質問をします。私はブッダの教えを幅広く読み、多くの学者たちに尋ねましたが、ブッダがこの質問に対して正確にここだと答えているところはありません。それにもかかわらず、多くの伝統的な先生たちは大変に特定的な答え方をしています。呼吸を見つめるべき場所は腹部だという人もいれば、鼻腔あるいは胸のあたりだという人もいます。私としては、どこでもかまいません。それは個人的な好みの問題にすぎません。
長年の間にかなり多くの瞑想を学ぶ人たちと接してきましたが、その人にとって最も鮮明に心地よくみつめられるところ、注意を保ちつづけられそうなところで呼吸を追っていくべきだと思います。そうした場所も、坐るたびにいつも最も鮮明であるということはありません。しかし、次から次へと焦点を変えないことが重要です。それでなくても落ち着かない心を助長してしまうことになりますから。注意を鼻腔、胸あるいはお腹に置いて、ある程度の一貫性をもってそこにととどまりなさい。修行が熟してきたら、注意をそれほど厳密に固定する必要はなくなるかもしれません。呼吸が体全体を通って現れては消えていくのについていけるでしょうから。(p.35)
瞑想を学ぶ上では技法の詳細にこだわらず、各人自分にフィットするものを見つけよ、という方針は大切だと思う。にもかかわらずローゼンバーグの指摘する通り、「多くの伝統的な先生たちは大変に特定的な答え方をしています。」という残念な印象は私も受ける。
とはいえ、伝統的な先生たちが教えている特定的な答えは、具体的かつ詳細な指示に満ちていたりもするので、自分にあう方法を見出していく上で参考にはなる。
腹部で観察する流派
例えば、マハーシ式では腹部で呼吸を見る。代表的なテキストには以下のようなものがある。
マハーシ式の場合、腹部で観察することに加え、「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」とラベリング(内語)しながら観察するという特徴もある。ラベリングに対しても否定的な指導者もいるし、中立的な立ち場の指導者もいる。例えばグナラタナ氏は前者だろうと思うし、プラユキ・ナラテボー氏は後者であろう。
鼻腔で観察する流派
鼻腔で見るべきという代表的なテキストには以下のようなものがある。
グナラタナ氏は最初から鼻腔で見るということでシンプルな指導である。一方、ブッダダーサ氏とおそらくはこれを下敷きに独自の工夫を重ねた小池龍之介氏の場合は、観察範囲を徐々に狭めていって最終的に鼻腔の1点にしていくという指導をしている。
小池氏の上記の著作に基づいて言えばそれは以下のようなものである。
“鼻先 → お腹へ”、”お腹 → 鼻先へ”という、何度も何度もいつ果てるともなく続く往復運動を、淡々と見守り続けます。(p.30)
呼吸の流れを観察していた範囲を狭め、限られた領域において、呼吸の変化を見守り始めましょう。それにより、より細かく、より厳密に集中してまいります。ここから先は鼻先からお腹までの広い範囲を追跡するのをやめ、鼻先から鼻の頂点までの数センチ程度の領域に集中してまいります。(pp.64-65)
これまで心を置いていただいていた狭い領域を、さらにさらにしぼっていき、鼻先の一点に向かって少しずつ狭く致しましょう。感じ取る範囲を、狭められるかぎり狭めながら、呼吸の感覚を見守りましょう。(中略)呼吸をとらえることのできる範囲内で出来るかぎり狭くし、鼻腔周辺のごくごく狭い一点に向かって、心を統一してまいります。そして、その一点に向かってすべての集中力を注ぎ込んでください。(中略)これを延々と繰り返しますと、最終的には文字通り細胞一個のような、あるいはそれよりもさらに微細な粒子一個のような、ほんとうに厳密な意味での一点集中が実現し、その一点にのみ心がとどまるという状態がやって参ります。(pp.119-124)
要約すれば、鼻先~下腹部 → 鼻腔のみ → 鼻腔の1点と、観察範囲を狭くしていくということを言っている。ブッダダーサ氏の本でも、比較的広い範囲から、最終的に鼻腔へと観察範囲を狭めていく指示が読み取れるが、小池氏ほど明確に整理され、徹底的に記述されているわけではない。
私個人の体験
私個人の実践は、グラナタナ氏の方法(最初から鼻腔で、ラベリング無しで)である。
観察対象に関しては最初から鼻腔の一点で感じるのが最も自然であった。ブッダダーサ・小池氏路線の順次狭めていく方法では、鼻~下腹部全体で意識する方法の方がむしろ慌ただしく落ち着かず難しかった。
下腹部での観察を試した経験では、下腹部は座って瞑想している時には感じやすいが、日常的に歩いている時などはかなり難しい。その点、鼻はどんな状態でも意識しやすいように思う。一方で下腹部での観察には気持ちを落ち着けやすい効果があるような気はしている。
ラベリングに関しては、最初からこれはあわなかった。呼吸よりも言葉に意識がいってしまう。スマナサーラ氏の著作から仏教に触れた身としては、氏の勧める瞑想法があわないという事実にはためらいを覚えた。それでもヴィパッサナー瞑想というコンセプト自体には、魅力を感じて色々調べたところ、必ずしもマハーシ式だけがやり方ではないことがわかった。
マハーシ式があわないというだけで瞑想を断念してしまうのはもったいないと思うので、同様の経験をしている方や、呼吸瞑想をしているが今ひとつやり方がしっくり来ない人に本記事が参考になれば幸いである。


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