瞑想におけるマントラ

瞑想にはマントラを使用するものがあります。マントラとは何なのか、どのようなものがあり、どのような効果が期待できるのか、考察してみたいと思います。

マントラとは何か

マントラ(サンスクリット語:マントラ、英語:mantra、日本語:真言)とは、元来は宗教的な意味を持つ短い言葉(讃歌、祈り、呪文など)のことです[1]。

この意味で日本人にとって最も馴染みがあるのは「南無阿弥陀仏」という念仏でしょう。南無阿弥陀仏とは「わたくは(はかりしれない光明、はかりしれない寿命の)阿弥陀仏に帰依します」という意味です。これを繰り返し繰り返し唱えることによって、ご利益が得られるという信仰を持つ人々がいるわけです。

このように宗教的に意味のある短文を何度も唱えることでご利益が得られるという発想は日本人や仏教の発明ではなく、インドのバラモン教に既に見られる発想と言われています[2]。

瞑想におけるマントラとは

瞑想において使用するマントラとは、瞑想中に繰り返し唱える(通常は声に出さず心の中で唱える、つまり内語する)短文です。瞑想でマントラを使用する場合、上記のような宗教的な信仰に基づくものもありますが、そういう意図は全くないものもあります。

宗教的な意図のないマントラは、単に同じ言葉を繰り返していると、人間は気持ちが落ち着き、集中した精神状態に入りやすいという経験的事実を利用したものです。

この場合、唱える言葉はなんでもいいという研究があります。古い本ですが、ハーバード大学の医学者であるハーバート・ベンソンの『リラクセーション反応』という本には、それこそコカ・コーラでもなんでも身体に与えるリラクセーション効果は変わらなかったと書かれていたように記憶しています[3]。

瞑想において使用されるマントラの種類は星の数ほどありますが、次にこれを分類してみたいと思います。

瞑想マントラの分類

「呼吸にあわせて唱えるマントラ」と「呼吸と関係なく唱えるマントラ」

呼吸にあわせて唱えるマントラは、息を吸いながらマントラの一部を唱え、息を吐きながらマントラの残りを唱えるタイプのマントラです。

代表的な例として、ヨガ教室などでも実践されることの多い「ソーハム瞑想(Soham Meditation)」というのがあります。これは息を吸いながら「ソー」、息を吐きながら「ハム」と唱えるものです。

ソーハムという言葉はサンスクリット語で、ソーが彼、ハムが私という意味で、あわせて「彼は私」という意味だそうです。宗教的な意味付けもあるようですが、唱えてみるとわかると思いますが、これは元々は呼吸の擬音語なのではないかと思います。日本語で呼吸は「スーハー」です。「スー」「ハー」と「ソー」「ハム」というのは明らかに似ていると思います。実際にそういう説明をしている専門家もいます[4]。

呼吸のリズムと関係なく唱えるマントラの代表例としてチベット仏教で最もポピュラーとされる「オム・マニ・ペメ・フム」(Om・Mani・Padme・Hum)というものがあります[5]。観音菩薩に向かって唱えるマントラだそうですが、それはここでは問題でなく、呼吸のリズムとは同期せずに唱えるマントラの例として挙げておきたいと思います。

「意味のあるマントラ」と「意味のないマントラ」

意味のあるマントラとしてはまず、これまでにも挙げてきた宗教的な意味を与えられた様々なマントラがあります。

これのもうちょっと現代的なバージョンとしてはTM瞑想(trancendental meditation)原初音瞑想(premordial sound meditation)などがあります。いずれも瞑想指導者が何らかの理由づけに基づいて、瞑想者個々人に最も適すると主張するマントラを授与するタイプのものです。その選択方法は公開されておらず、有料であることが特徴です。

科学的なものであるなら選択方法を開示し、他の選択方法で選んだマントラでの瞑想と比較して、優越性を証明しなければいけませんがそういうことはなされていません。上記のTM瞑想に関与していたディーパック・チョプラというアメリカの有名作家がTM瞑想の団体を離れてから提唱しているのが原初音瞑想です。非常に商業的な臭いがするというか、ビジネスモデルとして見ると完全に同じ構造をしています。マントラを使用した瞑想そのものには反対ではありませんが、このような高額のお金を払ってマントラを買うことには個人的には反対です。

さて、宗教的な意味をもう少し広げて考えると、例えば「愛」「平和」「喜び」「1つ」というような理想をマントラとして唱えることもあります。

意味のないマントラとして、呼吸の擬音語ある「スーハー」というのが考えられるでしょうし、宝彩有菜という瞑想家は「オーン・ナーム(吸気)、スバーハー(呼気)」というマントラ[6]を、川口正吉という翻訳家は「ナ(吸気)・ダーム(呼気)」というマントラ[7]を提案しています。こういうものにも、意味なり理由なりつけようと思えばなんとでもつけられると思いますが、本質的には呼吸に合わせて唱えていてなんとなく滑らかで座りのよい自然なリズムを表現した音であることが本質だろうと思います。

私の考える瞑想マントラの活用法

個人的には、呼吸と同期する、意味のない音を瞑想中のマントラとして活用してもよいのではないかと思っています。

喧騒に満ちた日常の意識状態と、靜寂の瞑想に意識状態にはギャップがあります。この移行がスムーズにでき、瞑想状態を安定して保てるならば特にマントラを使う必要はないと思います。

しかし同じ言葉を繰り返すことで、より早く気持ちが落ち着いたり、集中力を維持しやすいと感じることもあります。

マントラは言葉ですから、同じく言葉を使用する思考と同じ脳内のリソース(資源)を利用していると考えられます。そうだとすればマントラを唱えると、思考に使える資源が減るわけです。結果的にマントラを唱えると思考が減る → 思考が鎮まるという効果が得られるのではないかと考えています。

マントラを唱えていても、別の(余計な)考え事は浮かんできます。しかしマントラを唱えていると、この別の考え事の声とマントラの声が脳内でぶつかりますのでそのことに気づきやすく、従って考え事を素早く手放す助けにもなると思います。

また経験的にはマントラの声、考え事の声の2つの声までは脳内でよく同時発生しますが、更に別の考え事の声という3つ以上の声が同時に発生することは通常ありません。人間の言葉、思考のチャンネルは2チャンネル分くらいしかないのかもしれません。

この目的で実際に使用するマントラとしては、自然な呼吸音である「スーハー」や「ソーハム」のようなものがよいのではないかと思います。

通常マントラとは呼ばれませんが、恐らく目的は全く同じものとして「数息観(すそくかん)」というものがあります。これは単純に呼吸を1,2,3,・・・と数えていく方法です。実際のやりかたは「いち、に、さん・・・」だったり「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ・・・」だったり細かいバリエーションがあるようです。マントラが性に合わない人は、数息観を同じ目的で使用することもできるでしょう。

瞑想が深まってきて、マントラを唱えることがむしろ煩わしくなって来たら、マントラをやめて、呼吸そのものに集中して行くとよいのではないかと思います。そこから先はアーナパーナサティ瞑想が参考になるだろうと思います。

参考

[1]

マントラ - Wikipedia

[2]

真言 - Wikipedia

[3]『リラクセーション反応』

[4]

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[5]

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[6]『始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ』 (光文社知恵の森文庫)

[7]『ナ・ダーム―あなたの中の不思議な力』

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