訪問診療というのは体が不自由なため通院困難な患者さんを自宅や施設に訪問して行う医療のことです。
医療費抑制のために、国は病院を削減し訪問診療にシフトする方針であると私は考えています。
さて訪問診療に限らず保険医療の世界では2年に一度、診療報酬の改定というのがあります。医療の世界ではあらゆる医療行為に対して値段が決まっています。その値段表が2年に一度、厚生労働省の役人によって書き換えられるのが、診療報酬の改定です。
このインパクトは、値段を自由に付けることのできる自由産業に従事している人には想像もできない巨大なものです。
最近では2014年、2016年と保険診療の改定が行われました。前回の改定では、施設入居中の患者に対する診療報酬が大きく下げられました。「同一建物」といって、同じ施設に複数の患者がいる場合、2人目以降の診療報酬が大幅に減額されることになりました。しかし実際には抜け穴がありました。厳密に言えば2014年の制度は、1人の医師が同じ日に同じ施設で複数の患者を診ると、診療報酬が割引されるというものでした。従って、同じ施設を複数の医師で訪問したり、日を分けて何度も何度も同じ施設に出向いて1人ずつ患者を見れば、診療報酬は割引されなかったのです。
この同一建物基準導入のインパクトは大きく、施設中心に訪問診療を行っていた診療所には潰れたり撤退したところも少なくありませんでした。
潰れなかった診療所にしても、存続するためには、同一建物の患者をいっぺんにみず、バラバラに一人ずつ見る必要に迫られました。私の周りではこれは「バラバラ走行」とか「ぐるぐる走行」などと呼ばれていました。
そもそも訪問診療というのは月2回の診察が基本です。実際には同じ医師が隔週で患者を見るのが基本でした。
しかしバラバラ走行導入によりこれがくずれました。とにかくまとめてみてはいけないため、月2回の診察に来る医者が別々になったり(訪問診療はバイトでやっている医師も多く、そのような医師は通常ある曜日=バイト日に来るため)、診察の間隔もひどい場合には1日という人や28日などという人も出るようになりました。
更にこんなことも起きました。
1つの車にわざわざ2人の医師をのせて、同じ施設の患者を1名ずつ別々に診療する。
バラバラにして患者を診るために、ある施設でたった1名の患者を診るためだけの医師のバイトというのが出現した。
この時期の現場を経験した人間からすると、非効率極まりなく、全くもって狂気の沙汰としか思えない制度でした。
貴重な医療資源を浪費する愚策であったと思います。この多大な資源の無駄を生み出したのは、このような診療報酬体系を考えた厚生労働省の役人です。これは非常に重い罪であろうと私は思います。
しかしこのような政策を考えた役人は名前を曝されるわけでもなく、責任を取らされるわけでもありません。依然として権力の座についています。
医療の世界は診療報酬の決定権というものを通して、役人に完全に支配されている世界であると痛感しました。権力者というのは、たとえ間違っていようとも責任を追求されない存在のことなのでしょう。この権力の問題は人生において熟慮を要する問題であると目を開かされた経験でした。