言うまでもなく東京の家賃は高い。東京の家賃生活は「立ち泳ぎ」を私に連想させる。
頑張って手足を動かしている間はなんとか浮かんでいられるのだが、止めたらすぐに溺れてしまうのだ。
家賃も高いが、買おうとしたら家は更に高い。家賃を払いながら貯金して、それでいつか住宅を購入しようというのは不可能ではないが、住宅購入時期はほぼ老後である。子育てするような世代が家を買うなら、住宅ローン一択である。家賃か、住宅ローンか、老後まで待って購入か、人生の選択肢がほぼその3つしかない。
そもそもこの世に生まれ落ちた時点で、世間は家を持っている人と持っていない人に分かれていた。持っていない方に生まれ落ちた人にとって、家を取得するのはほぼ一生をかけての仕事になってしまう。
しかし家は誰にとっても必要なものであるのは自明である。生まれてきた時点で全ての人に保証され与えられていたって、別に何も悪くはない。むしろそれがあるべき姿なのではないかという気もする。
生存に必須ではないもののために、労働が必須というのはいいだろう。しかし生存に必須なものに関しては、その取得に必要とされる労働ができるだけ少なくなることが社会全体の進歩なのではないかと個人的には思う。
この点に関して声を挙げるべきは、家を持たない人、東京に通学・通勤するために全く改善しない非人間的なラッシュアワーに耐え続けている人たちだろう。こういう足元が改善していかないと社会に対する信頼や愛着がわかないのではないかと思う。